返報性

毎年1~2名の転職者を出す組織なのですが、ここ最近は「やりたいこと」のための転職ではなく「自分の生活」のための若手(30歳前)の転職が続いています。
「自分の生活」あっての「やりたいこと」ですので、それ自体を否定はできないのですが、なんだかもやもやする、というのが今の正直な気持ちです。

私の組織は「自分の生活」のための転職者を引き留めません。
「年収がX百万円アップする」「地元で働ける」から転職する、という人に「じゃあ、X百万円だすよ」「XXで働けるよう転勤させてあげるよ」ということを続けていたら組織だけではなく会社が破綻してしまうからだと納得しています。
さらに言えば、そんな利益を特定の人にのみ供与できる権限を持っている人はいないのです。
(厳しいことを言えば、30歳前でそこまで必要とされる人材ではないから引き留めもあっさり、ということもあるかと思います)

 

もやもやの原因は辞める理由というより、なんでそうなっちゃうの?!というところなんです。
人それぞれ考えが違うので批判の意図は全くなく、純粋な疑問なのです。
私が若手の時に転職をしなかった理由は3つあって、1つはどこへ行っても同じ仕事だと考えたこと、1つは誰からも引き留められない(必要とされていない)なんて絶対自分が許せないと思ったこと、そして、最後は今辞めたら会社や組織が私にかけてくれたお金、工数を返せないと思ったこと、でした。


返報性の原理、というものがあるそうです。
人は何かをしてもらったらそれを返そうとする、というのが自然な心のありようだ、ということを原理として捉えたものだと理解しています。
この原理には当てはまらない完全に個人の理由で押し切られてしまうと、なんだかぽっかりと心に穴が開いた気持ちになり、もやもやとするのです。

とはいえ、自分が自分らしく働けてこその仕事でしょ?という考えもよく分かりますし、個人より組織を優先しろなんて言う気もないのです。
そうして行き場のないもやもやは「これから」の人を失ってしまう悲しみと、自分たちの利益のために転職を唆すこともきっとあるだろう転職サイトへの怒り*1へと転化していきます。
転職はものすごい暴力的で、失恋にも似ている気がします。
する方は気持ちは前向きだったり、することですかっとするのかもしれないですが、される側は(もちろんされる側が悪くないことが前提ですが)ただただ「なんで?」の世界です。

「個人より組織を優先しろなんて言う気もない」なんて書いた手でそのまま続けますが、「とはいえ、個人が常に組織より優先することもない」というのが今の私の根本的な考えです。
お金のため、地域のために転職をして新たな職場で働く人たちには、自分の欲は少しは満たされるのだから、これからは組織(同僚)のため、会社のために働くということで得られる達成感も仕事の喜びの一つとして捉えてほしい、そして今よりもっと楽しく働いてほしい、そう願ってやみません。

*1:昔、先輩が転職した際、転職サイトの人が私に「また○○さんと働きたいと思いますか?」と質問してきて、その場にいたら殴り倒していたのではないかと思うほど強い怒りを覚えました。