裁量労働って何?②

1Qが終わり、気づいたら7月も終わろうとしています。
新人を迎えて20名弱の部隊となり、勤怠承認しながら
「新人の勤怠うらやましい……」と呟くのが日課となっています。

締めの作業の関係で月初に稼働が一気に上がって、月中に気づくと残業が50時間を超えている状態で、管理職のため36協定も関係ないのですが、「60時間は超えてはならない」という暗黙のルールによって「早く帰れ」と言われ続けています。

そうやって過ごしている中で、ある日、私は退勤打刻画面を見ながら自問しました。
「果たして私が今帰ろうとしているのは、
今日の仕事がすべて完了したからなのか
それとも22時だからなのか、どっちなんだ」


みなさま、なぜあなたはその時間に帰るのでしょう?
「定時だから」
「19時から約束があるから」
「昨日飲み過ぎて今日は早く帰りたいから」
ん?
ちょっと待ってください。
裁量労働の場合、
「今日はAを完了、BのXXまで完了することが私の進捗目標でした。
すべてスケジュール通りに終わりましたので、これにて失礼いたします!」
があるべき姿なのでは……?!
(思考停止)


なんとなく日々を過ごしていると、なんとなく仕事が終わって、
振り返るとなんとなくやったことで自分の歩いてきた道が舗装されているわけで。
「あー、あの時ちゃんと考えてやっておけばよかったな」
みたいなところは雨が降れば水はけの悪さから巨大な水たまりが生成され、
誰かに迷惑をかけていることでしょう。。。


1.01の法則。
改めて、一日に意味を持って過ごすことの大切さに思いを馳せるとともに、
適正な仕事量とは、と考えている最中です。

目標管理とは

大学時代からの同性の友人たちと一年に一度くらい会います。
彼女たちとの話題は学生の頃の思い出話、知人の近況、仕事、世間で話題のことに終始し、結婚や出産の話は皆無に等しいです。
独身貴族を気取っているわけでも、がつがつしてはしたないわとお高く留まっているわけでも、羞恥でも遠慮でもなく、単に「興味が薄い」(≒そんな話友人に言ったところで)のです。
「20代後半になったらテレビドラマみたいな女性同士の会話ができると思ってた!」と数年前に笑いあっていましたが、30代後半に差し掛かろうかという今もたいして変わっていません。

一方、会社で独身男性を含んだグループと話をすると、たとえ仕事中であろうとなかろうと「結婚」というキーワードが端々に出てきます。
「結婚相談所に登録した方がいいと思うけど、なんか申し込めない」と言われても、内心は「知らんがな!」ですが、仏の顔をして聞いています。

 

先週、メンバー全員との目標面談を終えました。
目標面談では本人の一年間の目標を記載した一枚の紙を使います。
何を書いていいか分からない、とほぼ白紙で出してくる人もいれば、思いをめいっぱい詰め込んで記載内容が枠に入りきらなくて、という人もいました。

前者が「興味が薄い」人、後者が「結婚相談所に登録したいと悩む」人、と置き換えて考えるとその違いに愕然するとともに、その先に現れる大きな差に恐怖すらおぼえる、というのが面談を終えた今の正直な気持ちです。


「結婚できる/できない」*1がすぐに口に出てくる人は「結婚」を「大事な目標である」と考えていると推測されます。
達成すべき、達成したいと本人も強く望み、どうすればそれを達成できるのかが生活をしていてもふと頭をよぎり、実際に合コンへ行ったり、結婚相談所のホームページを開くという行動もしていることでしょう。


今回、これが「結婚」ではなく「会社が組織に求める目標」であったらどうかということを考えてしまったのです。
その人の等級に従って求められる目標を、メンバー自身が「達成すべき、達成したいと強く望み、どうしたら達成できるか生活をしていてもふと頭をよぎるくらい自分の中に浸透させていて、実際に達成計画を立てたり実行している」状態というのは、素晴らしいことではないか?と。

組織と個人の目標が一致する状態は理想ではありますが、難しいです。
たいていは個人が組織の目標に合わせに行っていることでしょう。
それでもなお、「書きたいことがありすぎて枠に収まりません!」という状態まで組織の目標を真剣に考え、納得しようと努力してきたメンバーは、きちんと計画をして実行まで持っていく力があるでしょう。
ここでは成否は問いません。
できた、できないの2択ではなく、
できた、できない、やらないの3択です。
実行した人にしか成功も失敗もできない、と偉人たちがそれぞれの言葉で残していますが、これ以上ないくらいの残酷な真実だなと思います。


管理者は、まずメンバーよりも組織の目標に責任を持ち、何が目的なのか、どう進めていきたいのかをきちんと理解し、納得できている必要があるでしょう。
ということで、面談前に会社の経営理念や中期計画などをひっくり返して読みだしてみたものの、付け焼刃感満載のままメンバーとの面談を終えてしまったのであります。
ああ反省。
来年は組織の目標からメンバーとともに一緒に考えたい、と心に誓ったことを一年後の私に向けここに記載しておきます。

 

*1:する/しないはあってもできる/できないで悩むのは違うように思っていますが

裁量労働って何?①

予算がー、この資料がー、新しい案件がーとやっていたらしばらくここを忘れていました。
名刺に課長という肩書が入って一週間が経ちました。

以前、上司から
「『評価下げられても、今の給料で生きていけるんで』ってわけわからんこと言って従わないやつもおる」
と半分冗談交じりで言われたことがあるのですが、
まさにそのようなことをこの一週間ですでに言われて「マジか」と久々*1に思いました。
この話で考えたことは別記事で書こうと思いますが、一貫して思うのは
「『今のままでいい』という人は、事業が拡大している会社だったら相対的に下がっているよなぁ」
です。


さて、「裁量労働」です。
私の所属している部署では8割以上の人が「裁量労働」で働いています。
会社の裁量労働に関する説明には何故か「裁量労働でも原則9:00~17:30勤務とする」という一文があるものの、ほとんどの部署では9:00以外の出社も認めています。

部署が変わった際に、一つ問題が出てきました。
「明日は朝、役所に寄らないといけないので、10:30出社にします」
「子供を送るので、毎日10:30に出社します」
は、いくら標準時間働いてもいずれもダメという判断がされたのです。
(会社ではなく部で)
私はクリーニング代が半額になる日に、朝10:00出社にして今まで過ごしてきたのですが、この判断が適用されるとこれもダメということになります。

当然、受け入れられない人が出てきて反発が起きました。
会社の裁量労働に関する説明はさらに「裁量労働であっても、勤務について上長の指示に従うこと」と続きます。


これ、とても難しいなぁと思うのです。
私は脊髄反射的に「10:00出社にしても、18:30まで働けばいいでしょ?」と思うのですが、この考え自体が時間に縛られた「フレックス勤務」であって「裁量労働」ではないですし、では早く帰ると言っても「果たして私は今日、成果を出せたから帰るのだろうか、それとも先送りして帰るのだろうか」と自問したところで答えはでません。
(答えが出るとしたら、きちんとスケジュールが引かれ、成果物が可視化された仕事のみをこなしているとき)

裁量労働って何なのでしょう?
私はずっと「裁量労働になったら、時短勤務なんてしなくてよくない?」と憤っていました。
でも(あえて男女を分けて書きますが)、多くの女性は(保育園の迎えで)時短勤務で給料を何割かカットされ、多くの男性は(保育園の送りで)10:30出社で通常の給料をもらっています。
時短勤務をする人は、その決められた時間以外に上長の指示で働くことを拒否できるから、それを受けるのだ、と説明されたことがあります。
となると、保育園送りのための10:30出社だって時短勤務にして得られる権利ではないのでしょうか?
(そうしろ、と言っているのではなく逆です。女性も満額の給料をもらえてしかるべきでは?と考えています*2


同じ職責の二人がいて、同じレベルの仕事を同じ期間でやるように指示します。
期間内に終わればどのように進めてもよい(もちろん承認は得たうえで)、というのが裁量労働で、その二人を成果物とアプローチ、作業量で評価するものだと思っていました。
でも「時短勤務」があったり、原則9:00出社だったり、どこで何を考えるかで、みんながみんな好き勝手に「裁量労働」を理解しているような気もします。

目に見えない成果目標をどうやって平等に人に配布して、平等に評価するのか。
もちろん数学ではないので、きっちりと割り切れるものではないと頭では理解しています。
そこに「Aさんだったらこのくらい楽勝だ」なんて情報が入ってきた日には、同じ職責であってもそちらに負荷をかけたくなるのが上長心理なのでは……。


この問題、目標管理の時に再発しそうですが、私は菩薩のように心穏やかに平等にメンバーと相対せるのでしょうか。
乞うご期待!と明るく終わらせたいですが、今はちょっと笑えないです。
もう少し悩ませてください。
正しい法律もきちんと理解しきっていないのでここまで書いていることに間違いがある可能性もあります。②へ続く、で。

ちなみに、クリーニングは時間休を使って行きます。
裁量労働の時間休、半休って意味あったんだぁ。。。)

*1:30歳になる際に言うのをやめようと決めた言葉が「超」「ヤバい」「マジ」

*2:保育園の迎え、だと勤務時間が固定で、どうやっても長時間で成果をあげる方法が取れないからダメ、なのでしょうか??

返報性

毎年1~2名の転職者を出す組織なのですが、ここ最近は「やりたいこと」のための転職ではなく「自分の生活」のための若手(30歳前)の転職が続いています。
「自分の生活」あっての「やりたいこと」ですので、それ自体を否定はできないのですが、なんだかもやもやする、というのが今の正直な気持ちです。

私の組織は「自分の生活」のための転職者を引き留めません。
「年収がX百万円アップする」「地元で働ける」から転職する、という人に「じゃあ、X百万円だすよ」「XXで働けるよう転勤させてあげるよ」ということを続けていたら組織だけではなく会社が破綻してしまうからだと納得しています。
さらに言えば、そんな利益を特定の人にのみ供与できる権限を持っている人はいないのです。
(厳しいことを言えば、30歳前でそこまで必要とされる人材ではないから引き留めもあっさり、ということもあるかと思います)

 

もやもやの原因は辞める理由というより、なんでそうなっちゃうの?!というところなんです。
人それぞれ考えが違うので批判の意図は全くなく、純粋な疑問なのです。
私が若手の時に転職をしなかった理由は3つあって、1つはどこへ行っても同じ仕事だと考えたこと、1つは誰からも引き留められない(必要とされていない)なんて絶対自分が許せないと思ったこと、そして、最後は今辞めたら会社や組織が私にかけてくれたお金、工数を返せないと思ったこと、でした。


返報性の原理、というものがあるそうです。
人は何かをしてもらったらそれを返そうとする、というのが自然な心のありようだ、ということを原理として捉えたものだと理解しています。
この原理には当てはまらない完全に個人の理由で押し切られてしまうと、なんだかぽっかりと心に穴が開いた気持ちになり、もやもやとするのです。

とはいえ、自分が自分らしく働けてこその仕事でしょ?という考えもよく分かりますし、個人より組織を優先しろなんて言う気もないのです。
そうして行き場のないもやもやは「これから」の人を失ってしまう悲しみと、自分たちの利益のために転職を唆すこともきっとあるだろう転職サイトへの怒り*1へと転化していきます。
転職はものすごい暴力的で、失恋にも似ている気がします。
する方は気持ちは前向きだったり、することですかっとするのかもしれないですが、される側は(もちろんされる側が悪くないことが前提ですが)ただただ「なんで?」の世界です。

「個人より組織を優先しろなんて言う気もない」なんて書いた手でそのまま続けますが、「とはいえ、個人が常に組織より優先することもない」というのが今の私の根本的な考えです。
お金のため、地域のために転職をして新たな職場で働く人たちには、自分の欲は少しは満たされるのだから、これからは組織(同僚)のため、会社のために働くということで得られる達成感も仕事の喜びの一つとして捉えてほしい、そして今よりもっと楽しく働いてほしい、そう願ってやみません。

*1:昔、先輩が転職した際、転職サイトの人が私に「また○○さんと働きたいと思いますか?」と質問してきて、その場にいたら殴り倒していたのではないかと思うほど強い怒りを覚えました。

姪っ子

2歳になる姪っ子がいます。
クリスマスにプレゼントしたリュックを、「アン・パン・マーン」と言って何故か背負い投げの要領で背負います。リュックが空中を舞います。
可愛いです。

この5年くらいずっと「下を育てろ」「第二のおまえを育てろ」と言われ続けて、そのたびに「いや*1、人って自ら育とうとしなきゃ育たないでしょ?」「私を二人作ってどうするの」と心の底で思ってきました。
ゆえに、私が育てたと自信をもって言える人は誰もいません。私を見て育ったという人はいると信じたいです。

組織を任されるというのにこれじゃいかんなぁと思うわけです。
未だにどうすればよいのか悩んでいるので、このテーマはAfter*2に続くのですが、私が折に触れて思い出す言葉をいつでも思い出せるように書き残します。


一つは入社して間もないころ、部長が課長代理に怒鳴り散らしていた*3時に出てきた言葉。
「おまえ、部下が自分の子どもでもそういう対応するんか!!!」

もう一つはキャリアリーダーとして新人育成を任されたときに研修で人事の人から言われた言葉。
「みんなこれまで大切に育てられた人たちなので、大切に育ててあげてください」

この二つの言葉を思い出すと、なぜか胸が熱くなって涙目になってしまうのです。
2歳の姪っ子はもちろん一人では生きていけません。
これからもいっぱいいっぱい色んな人に迷惑をかけ、育てられていくのでしょう。
十分なオトナの私は、これまで色んな人から育ててもらったことを返していかないといけない、そう思うのです。

みんな誰かに大切に育てられてきた、そして、誰かを大切に育てられる人なのだから。

*1:口癖

*2:Beforeのカテゴリはライン職になる前に考えたこと

*3:今はパワハラ厳禁です。

カーリング女子

平昌オリンピックです。
カーリング女子が可愛いという話ではなく、彼女たちの試合を見ていると和むという話です(結果、可愛い)。

 

オリンピックという大舞台で彼女たちはいつでも笑顔で朗らかです。
みんなで意見を出し合い、一つの目標に向かって何がベストなのかを常に考え、失敗しても受け入れ、成功はお互いに称えあい、本当に気持ち良い試合をします。
もちろん、彼女たちの中にだっていろんな人間関係が渦巻いていることでしょう。
ただ、それを微塵も感じさせないところに、プロフェッショナルを感じます。

 

特に素晴らしいなぁと思うのは作戦会議中に何度も出てくる「そだねー」という言葉です。
カーリング男子は、面白いかどうかで方針を決めていたのもぐっときました)

 

私が学生の頃にはなかった言葉ですが(そしてもはや古いのかもしれませんが)「キラキラ女子」とくくられるような女性がとにかく苦手でした。
多くの女性にとって大切だという「共感」能力が当時の私には著しく欠けていて、うまくコミュニケーションが取れず、勝手に壁や引け目を感じたり、実際にクラスの女子全員から無視された期間もありました。
(そして女性がコミュニティを作っていなそうなIT企業に就職して今に至るわけです)

 

その頃の私に、「そだねー」を教えてあげたい!!
相手の意見を受け入れ、共感していることを伝える魔法の言葉だなぁと彼女たちの笑顔を見るたびに感じ入ります。
返事は否定から入らない、そう幾度言われても私の口癖は「いや、○○ですよね?」のまま。

 

これを機会に、「そだねー」にしたら……誰かからものすごく怒られる気がします。

1.01の法則

マネジメント研修で「1.01の法則*1」という話をされました。
毎日少しずつ変われば1年後にはものすごく変わる、という例で、私の頭の中では昔ばなしの
「褒美はこの広間の畳に、1帖目は1粒、2帖目は2粒、3帖目は4粒、と倍々で米粒をいただければいいです*2 
「なんと欲のない!」
が繰り広げられました*3

 

そんなことはどうでもいいのですが、その講師の方は確かに少しずつ変わることができれば素晴らしいが、もっと言えば「変わろうと考えるだけでもいいんだ!」と続けてくださいました。 
「変わろうと考えるだけでよい」
このことを忘れないように、このブログを始めました。

 

今まで10年ちょっとメンバーだった間にライン職に対して感じていたこと*4、組織やメンバーって、と考えていたことがあるので、これも「課長になって今まで言ってたことと全然違うことやってるよね」と言われないように残していければと思っています。

*1:1.01の365乗は37.8

*2:私が読んだのは幼稚園のときなのでおそらくこの人をモチーフにした作り話だったのでしょう→曽呂利新左衛門 - Wikipedia

*3:もしかして、2乗と2帖がかかったダジャレだったかしら

*4:と言えば聞こえはいいけれど単に愚痴……悪態?